古代出雲王国の謎

古代出雲王国の謎を中心とした歴史がテーマのブログです。

大国主の神座は本殿正面向きでなく西向きなのか? 2002/5/31

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本殿脇にある神座の図本殿西側の大国主神の正面の位置を指す札

大国主怨霊説の四柏手以外の根拠に神座が参拝者へ向かって正面を向かず横を向いている(つまり西向きである)」というのがあります。出雲大社本殿に祭られている大国主命は参拝者側から見ると横を向いた格好になり、参拝者の正面には「客座五神」が正面(参拝者の方)を向いて鎮座しているのです。

ただし大国主のいるさらに奥の方に五神の神座は正面を向きならんでいます。
大国主の正面奥側に大国主に向かって横(つまり参拝者側・南)を向いて並んでいるのです。
向かって左から

天之御中主神

高御産巣立日神

神産巣立日神

宇麻志阿斯訶備比古遅神

天之常立神

の五神です。

この神座の配置から「客座五神」こそが参拝をうける対象であると考え、大国主は、いわば「囚われの神」であるとして、怨霊説に広げていくのですが、これもどうかと思います。

客座五神とは何なのか?と考えるとこれは面白いことに古事記において神々の一番最初に登場する「別天神」と同一なのが判ります。「別天神」とは何もないところから現れ出でる神で、森羅万象全ての元でもあるのです。

大国主や素戔嗚、天照、月読などの人格神ではなく「世界と人間、神の根本」を象徴している神のことです。これらの神名は古事記では天孫の祖先神としてえがかれる一方(タカミムスビ)、出雲の祖先神(カミムスビ)としても現われています。

他の三柱の神は天神地祇とそれを結ぶ柱を表しているとも考えられています。

これらの五神の神名は世界の要素を象徴する神名であり、出雲族天孫族の祖神というよりむしろ、古代人の世界観を表すものではないかと思われます。ということは出雲・天孫のどちらもが崇めていた「自然神」であるのではないでしょうか?五神は出雲大社伊勢神宮といった神社建築物の大柱にも見たてられているのかもしれません。

ちなみに、本居宣長の玉勝間に収録されている金輪造営図には田の字型に配置された9本の大柱が記されている。また弥生遺跡である田和山遺跡にも9本の柱跡があることから見て、9本柱による巨大建築物(神殿?)はかなりの昔からの建築様式だったことが伺われる。

そして、神統譜上の系譜をおいて考えれば、これらの神の神格(性)は、決して天孫族とその被支配民だけが崇めるものでなく、日本列島に住む人々にとって普遍的な自然信仰(精霊信仰)の対象でもあるのです。

つまり、「天孫族がまつる五神」によって大国主の怨霊を封じているとはいいきれないということです。むしろ見方を変えれば大国主の正面に居並ぶ五神は大国主によって祭祀されている支配されているという形にもとれるのです。

さらに、大国主が横を向いているのと同じで参拝者に対して横を向いた形の神座をもち、しかも出雲國造が直接祭祀する神社は他にもあります。

もちろん出雲の地には他にも大社づくりの神社が数多くありますし出雲國造の家系や流れに連なる神官が祭祀する神社も多くあります。出雲大社だけを抜き出しその特異性を持ち出すのは片手落ちですし、これらの神社の特性、さらには出雲文化の特性をも考慮にいれ考察を重ねなければならない。

ここで注目したいのは同じく出雲にある「神魂神社」です。松江市内ですから宍道湖の東西に参拝者に対して横向きで鎮座している神が居るわけです。ただしこちらの祭神イザナギ出雲大社とは逆で東向きだそうです。

この二つの社は、対で何かの呪術的意味を持つのではないでしょうか?
この呪術的意味こそ、太陽祭祀、ひいては「死生の祭祀」ではないでしょうか?

天皇家つまり大和朝廷の勢力が強まる前の本来の倭国にあった精霊信仰のなかで、交易と共に広まった稲作文化の象徴として一気に倭国の祭祀の頂点にたった「太陽祭祀」に関するものだと睨んでいます。

東(神魂)から西(杵築)のレイライン(古代祭祀線)が古代出雲にあったという事に他ならないのではないでしょうか?

ここからも、倭国における太陽祭祀(政治的意味のある)の出発点は古代出雲もしくは同様の文化をもっていたとも考えられるヤマト政権以前の古代の大和盆地の民の普遍的な信仰ではなかったかと考えています。

何故大国主が西をむいているかについては諸説ありますが、五神によって封じられているという要素は少ないと思います。もし封じられているとすれば客座五神は大国主に対して尻を向けた形でないといけないと思います。つまり大国主の神座よりも参拝者から見て手前に客座五神の神座がおかれてなくてはおかしいのではないでしょうか?

そもそも、大国主の祀られている出雲大社は大社造りであって、天孫の鎮座する神社とは、根本的に建築思想もその伝統も違うものであります。大社造は、アマテラスの神明造やその他の神社建築とは根本的に違うわけです。

また、記紀神話において怨霊とはとても考えられない鹿島神宮の神座の配置も大社造の神座に似ている(きんたろうさんのページ参照)ことからも、神座の向きから大国主が怨霊であると理解するまたは主張するのはとても不可能な事だと思います。大社造にしても、鹿島神宮にしても古くから伝えられてきた建築様式を維持しつづけてきたと考えるべきではないかと思います。

さらに言えば、大国主がアマテラスと同じ神明造の神社に祀られその状態で横向き(西向)で、客座五神の後ろに鎮座しているのだとしたらこの怨霊説の推論は成り立つかもしれませんが、そうでない以上、あり得ない推論として考えるべきではないかと思います。

みなさんは、どうお考えでしょうか?

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